< 第二回 >
フリーカメラマン 野村 幹太
吉田寮が好きなんで、
この寮すごいやろって
人に見せたかった。
野村さんと私の出会いは2017年京都のKYOTOGRAPHIE※の期間中。
ちょうど吉田寮で飲み会をしていた私は
周囲にいる寮生に声をかけて参加を呼び掛けていた。
その一人が野村さんだった。
寮生だと思って話しかけた野村さんの話を聞くと、彼は吉田寮を撮影しているカメラマンで、
KYOTOGRAPHIEの会場の一つに吉田寮を使用しているという。
それから撮影に来られている野村さんをみかけては立ち話をする仲になり
今回のインタビューもそんな話の中で成立した。
※「KYOTOGRAPHIE 京都国際写真祭 2017」
野村さんのYahooの記事の撮影に協力して吉田寮の様々な所で写真の撮影を行った。
撮影に参加した寮生の中には、撮影に選ばれた場に「初めてきた!」という声もあがっていて、
吉田寮を知り尽くしている野村さんの背景を垣間見れる瞬間だった。
カメラ越しに撮影の指示を出す野村さんの目は始終やさしそうで。
大好きな建物と関われる充足感がとても伝わってきた。
ー野村さんと吉田寮の接点からお話を聞かせていただけますか。
野村:まず僕も子どもの頃、築100年くらいの家に住んでいたんですよ。
ーすごい!
野村:高校生の時に家を建て替えて。残してほしいと思ってたけど、子どもの意思ではどうにもできなくて。
15~16年ほど住んでた家がなくなってしまうのを目の前で見て。なんかすごい寂しいなと思ったことがあって。
ー昔から古い建物に親しんでいた経験があったんですね。
野村:吉田寮に出会ったのは、大学の頃でした。僕は大学は同志社大学に行ってたんですけど。今出川の図書館に行くことが何回かあって。その時に、吉田寮の前を通ったんです。
なんでそこで立ち止まったのか覚えていないですけど。見たことがない風景だったんで、思わず立ち止まって。今とはぜんぜん景観が違ってですね。
ーたしか昔は食堂の…。
野村:そう。もう少し暗い密集した感じだったんですよね。食堂の空き地が異様な雰囲気を出してて。
テーブルとか机とか落書きされた廃車が、置いてあるんじゃなくて、転がってて。なんなんやここは?って感じで。
ーワクワクに近い感じですか?
野村:そうです。ワクワクしてました。ちょっと懐かしい感じ。
でもその時は玄関までは行ってないんです。正門の並木が始まるところから見ただけで。その日は帰ったんですよ。人にそういうのあるって話したら、吉田寮っていうとこだと。僕は芝居もやってたんで。吉田寮で芝居をする人もいたから吉田寮って名前は知ってたので。あ、これが吉田寮か、と。
ー今まで耳にしていた吉田寮と実際にみた建物が、繋がったんですね。
野村:まだ、僕も20歳だったんで、寮って言葉もピンとこなかったんです。
それで後日行って。昼間に中に入ったんですけど、その時は別の衝撃があって、古い懐かしい感覚じゃなくて、アマゾン川に舟を浮かべて住んでいる人を訪ねて行ってた、ペルーを思い出したんです。
部屋の中に入った瞬間に湿気を吸った、自然に近い生活を思い出したんです。
市場で魚を売っている人とか家の中で亀つぶして食べてる人とか、吉田寮に入った瞬間にバーッと、そういう風景が(広がって)、これめっちゃおもろいって思って。
吉田寮とぺルーに共通しているのは、人間の生活が滲み出ているというか…。
キレイだとあんまり見えにくいものというか。それが僕にとって吉田寮の魅力ですね。
ーそこからは頻繁に足を運ぶようになっていくんですか?
野村:そうですね、はい。
ー吉田寮の人たちとはどんなふうに交流をしていったんですか?
野村:僕が来た日には、印刷室で鍋をつくってくれたんですよ。
ーえー!すごく好意的に迎え入れてくださったんですね。
野村:寮外生がたくさん来てて。その時は(印刷室が)寮外生の部屋みたいな感じだったんですよ。その日のことはよく覚えていて。庭にいた鶏をつぶして鍋にいれてくれたんですけど。5年近く生きてた鶏なんで、固すぎて食べれなくて。その時にそこで知り合った人に写真を撮らせてもらう企画書を通してもらったんですよ。
それが写真を撮り始めたきっかけです。
大学卒業後野村さんは、
就職した大阪の会社を2年で辞め、写真の専門学校へ。
アシスタント経験を経て、
独立して自由になった時間を吉田寮の撮影に使用するようになる。
吉田寮のことは離れていてもずっと気になっていたという。
ー去年(2017)の12月19日の話(基本方針)はどんな風に耳に入りましたか?
野村:友だちから聞きました。でも、今までの流れからして、いつかそうなるって思ってたんで。そんなに驚かなかったのは覚えてます。
ーいずれそうなる予感を持ちながら、予感があたってしまう時の気持ちって・・・
どんな気持ちなんでしょうか。
野村:僕が大学生の頃はまだこういう雰囲気っていうのは寺町とかにもあったんですよ、京都っぽくない、さびれた昔の雰囲気が残った場所っていうのはいろんなところがあって。
まぁ、そういうものの一つに吉田寮があって、そういうものがなくなるっていうのは、すごく寂しい感じですね。だから、僕は写真を撮っているっていうのもあります。
ー10年程前の京都は、もっとドロドロした雰囲気があったと思います。
今の百万遍はチェーン店がすごく増えていて、こざっぱりしている雰囲気に驚きました。
野村:KYOTOGRAPHIEをやったのも、少しでも早く展示しておきたいという気持ちがあったからでした。一般の人に知ってもらいたいってのがあって。普通はこういう展示(吉田寮の中での写真の展示)はできないけれど、KYOTOGRAPHIEはそういう展示ができたんです。一般の人に来てもらって一般の人と寮生が少しでも対話できる場所がここでできたらなぁっと思って。
もちろん自分が作品を発表したいし、たくさんの人に見てもらいたいってのもありますけど。やっぱり、この寮が好きなんで、この寮すごいやろって人に見せたかったっていうのもあります。でも生活の場なんで、そういうのは難しかったですけどね。
ー吉田寮は今後どうなって欲しいってご自身の思いとかありますか?
野村:今抱えているこれ(Yahoo特集ニュースの記事作成 )で、吉田寮のことをたくさん知ってもらえたらと思っています。やっぱり僕は外に発信することが重要だと感じています。
なんでもいいんで、外に発信するのが大事かなって思ってて。
それをなんとか実現できるようにしたいと思って今(Yahoo特集ニュースの記事作成を)やってて。
そのあとのことはどうすることもできないっていう諦めは正直ありますけど、壊されたとしたら、これを本の上に再現しようと考えています。
ーたしか海外で出版される計画があるんですよね。
野村:吉田寮を伝えるには一つのモチーフだけを使用するのでは、ぜんぜん足りないんです。ただ単に写真だけ見せるんじゃなくて、映像と文章と写真とアーカイブ、それを全部一つにした本を作りたいと考えています。
この寮ができたときの写真も入れつつ、この寮で昭和の頃に食べてたもの、何食べてたとかその資料も入れて、次のページに現在の宴会してる姿がきてという構成で。
結局、100年くらい学生たちは同じことをずっと繰り返してたなっていう、そんな事が感じられる内容にしたいんです。
なおかつ100年の歴史の重みを一冊にまとめたいなと思ってて
それを今作っています。
ーホントに吉田寮の事、大切に思ってらっしゃるんですね。一言、寮生や吉田寮に伝えたい事があれば。
野村:みんなそう思ってるかもしれないし、分からないんですけど。ここに棲んでるってのはすごく貴重ってことを認識してほしいなと思います。
僕はホントにここに棲みたかった。学生の頃。でも、ここは京大生しかダメっていうことがあったので。ここは来るたびに季節によって匂いも違うんで。今の時期だとしっとりしている感じ。
冬だと乾燥した空気になって、ホント微妙なバリエーションがあるんですよね。僕は本当に吉田寮を正しく知ってもらいたいし、ここのそんな魅力を伝えたいんです。
<略歴> 野村 幹太
京都府生まれ。東京在住。
同志社大学卒業後、ビジュアルアーツ専門学校大阪で写真を学ぶ。
アシスタントを経てフリーカメラマンとして活動中。2008年ごろから吉田寮を撮り続けている。
昨年の京都国際写真祭では吉田寮を会場に作品を展示した。