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< 第三回 >

映画監督  藤川 佳三

訳の分からない​

コミュニケーションのるつぼ。

それを目撃した嬉しさ。

「藤川さん、今日は何してたんですか?」

吉田寮の中を歩いている藤川さんに出会い、挨拶をかわす。

「何もしなかったんだよ。」

と、気の抜けたような返事が返ってくる。

「寮生みたいになってるじゃないですか。」

藤川さんは吉田寮にドキュメンタリー映画を撮影にこられている映画監督で

寮生に撮影中だと分かるように

 

帽子の上に「撮影中」と手書きで書かれた文字をつけ

寮の考えを大切にした姿勢を一貫してとっている。

 

先ほどの会話もその一場面。

 

このインタビューはそんな藤川さんと知り合い始めた5月に行なった。

 

― 一番最初に吉田寮のことを知ったのはどういうきっかけでしたか?

藤川:一番最初は、大学生のときに、西部講堂でオールナイトのライブがあって、先輩が一緒に行こうって言って、それについて行ったことですね。そうしたら、西部講堂の前で焚き火が燃えていて、すげえなと思って。で、そのライブが終わった後に、流れで吉田寮に行ったのが最初です。

 

ー何年前くらいですか?             

 

藤川:30年前くらいになるかな?なんか面白いところだなと。でも、そんなに(吉田寮に)入ったりしていないんですよね。さらっと見ただけだったんですけれど。それで、その後は行かなくて、風の便りで噂とかは聞いていて。その後は結構最近で、ちょっと様子見に来たくらいですね。

 

 

ー近くに来られるときがあって?

藤川:一昨年に『菊とギロチン』っていう映画を京都と滋賀で作ったんですよ。そのときに京都とか滋賀に5か月くらい滞在していて、吉田寮は安く泊まれるっていうのを聞いたので、京都に滞在しているあいだ、吉田寮で宿をとろうかと思って一回来たんですよ。その時の寮生は、誰もあんまり話してくれなかったんですけれど。とりあえずここに泊ってって言われて、パッと開けたら、結構(その部屋に)人がたくさんいて、「え?ここで寝るんだ、、」と思って、やめました(笑)

ー古い棟の泊まる部屋ですよね?。

 

藤川:ええ、そうですそうです!僕はそのとき、映画の準備でけっこう忙しくて、ゆっくり休みたかったんですよね。だから、大部屋に雑魚寝とか、コミュニケーションをとるとか、そういう感じではなかったので、あ、これは向いていないな、と思ってやめました。(笑)

そのあと『菊とギロチン』のスタッフが、京大の大学院生なんですが、彼からタテカン問題等いろいろ話している中で、吉田寮が9月末でなくなるかもしれないとか、もうみんな出なきゃいけないみたいな話を聞いて。5月の連休明けに一回吉田寮に行ったんですよ。それで3日ぐらい居て、ちょっと何人か話を聞いたりしながら、吉田寮の状況を少し聞いたりして帰ったんですけど、そのときに入寮パンフレットを貸してもらうことができたんですよ。

それを読んだら、すごい興味がわいたんです。パンフレットの内容がすごく面白かったんですよ。

それで、5月の終わりにもう一度きたんです。

 

ー入寮パンフレットのどういうところが面白いと思われたんですか?

藤川:みんな吉田寮が好きなんだなっていうのがすごく分かったのと、やっぱり自治をすごく真剣に考えているというのが分かったので、それがすごく興味深かった。自治って何だろうって。何でも話し合いで決めるというところとか。あとは、会ったときの感じがみんな個性的だったから、いいなと思ったんです。

 

 

ー自治とか議論を上下関係なく行うという、そういう雰囲気が好きだということですか?

藤川:議論て言葉が大事だから、そこで力関係が生まれちゃうと思うんですよ。普通の社会ってそういうので成り立ってしまっているから、先輩だと何も言えないだとか。あと上だと下に命令するとか、そういう社会になっているじゃないですか。話し合いってなかなかできないんですよ。そういう意味で対等になるために、言葉がタメ口っていうのは、とてもいいことだなと思って。

 

ー吉田寮と関わる事で、印象が変わったところとかありましたか?

 

 

藤川:そうですね。日々新しい人と話すなかで感じることなんですけど、日常的なことが更新されていく感じですかね。寮が毎日少しずつ分かってくる。印象的なのは、何かやるということに対して敷居が低くて、すぐやれるという事。そして、やったことに対して、人から別にあんまり何も言われないという。それってすごくいいことだと思っていて、そういう場所があるってことがとてもおもしろいですよね。

後は敷地とか建物が大きいので、余裕みたいなのがあるんですよ。ゆったりしている。だから、街に出て行ったときに、吉田寮にいるときと時間の進み方が違うんだなということを感じました。

 

ー印象に残った出来事とかってあったりしますか?

 

藤川:寮祭の演劇ですね。深夜演劇(補足:正規の演劇が終わった後に行われる深夜の演劇の事)、が、一番よかったです。本公演が終わった後で、アドリブで劇をやるんです。誰でも好きな人が入って演劇を構成していくんですよ。

 

 

ー吉田寮の食堂でやっていた?

 

藤川:そうですそうです。勝手に舞台に人が入ってきて、勝手なことを喋っていくんですよ。途中で何か話に詰まったりして間が空いたりするんですけど、そうしたら暗転したりして。で、また誰かが次に入ってくるみたいな。結構みんなゲラゲラ笑って、お酒飲みながら。それが終わったら、みんなで小道具の周りに集まってこれはどうだ、ああだって、ワーワー舞台で喋っているんですよ。その感じがすごくいいなって。

演劇って、コミュニケーションのツールですよね。人がいればできるから、すぐ始められる。寮生が出演して、寮生がお客さんでみんな楽しめるって最高じゃないですか。

誰かが話してたけど、この深夜公演っていうのは、観れなかった人がもう一回やってくれって言ったことがあって、それで始まったらしいんです。打ち上げでベロベロになって、泥酔している人が適当に演劇をやっているのが、深夜公演としてそのまま続いているそうで。(笑)寮祭芝居で継続的に残っちゃっているというのが面白い。

こっちでワーワーやっている、こっちはMくんが酔っ払ってTくんにガンガン絡んでるっていう、そういうわけのわからない空間が、まさにコミュニケーションのるつぼというか。それが体現されているのを目撃したという嬉しさ。撮影はできなかったんですけど(笑)

 

ー撮影できなかったというのは、寮からの許可の関係で?

藤川:演劇の主催者にダメだと言われたのと、やっぱりたくさん人がいるときに、許可なく勝手に撮っちゃいけないという、個人の権利に関する意識が吉田寮にあるので。みんなにOKを貰って、撮るのならいいと言われました。

 

ー吉田寮での撮影は難しそうですね。

藤川:うーん。難しいと思います。僕はドキュメンタリー映画を撮りたいんだけれども、なかなか(カメラを)回せないので、どうやって撮って行くのかは、吉田寮の雰囲気を壊さないよう探り探りやっていかないといけない。

でも個人主義っていうのは、いいなと思ったんですよ。個人個人を尊重するというか。自己責任に任せるというか。撮影はダメというのをかなり厳しくやっているのは、それを守るためにやっているわけだし。ジェンダー意識とか高い人がいたり、リベラルさみたいなのがベースにあるのは、いいなあと思います。

 ー吉田寮の入寮パンフレットにも載っていますよね。そのような理念が。

藤川:そうそう。すごく惹かれたところです。撮影は難しいんだけれども、それは吉田寮のやり方だから。撮影ができないということも含めて描いてもいいような気がしてます。吉田寮のことを文字で説明するのはできるのかもしれないけど、映像で表現できたらいいなと思うんですけど。

ー撮影に関してどういう感じのことを撮りたいと具体的に感じていらっしゃいますか。

藤川:うーん。すごく日常的なことをやりたいと思っています。すごく些細なことというか、ご飯のおかずを作っているとか、掃除をしているとか、ちょっとした会話とか、そういう日常的なことの積み重ねを撮影したいです。

ただ、大きなテーマとしては、吉田寮がどういう場所なのかを探りたいと思います。あと大事なのが存続問題。吉田寮は存続するのかどうか。みんながどういうふうにその問題に取り組むかとかですね。僕はそこの二つの事に関して寮に加担しながら撮影したいと思っています。

 

 

​映画の編集作業が始まり、今藤川さんは撮影した動画と向き合っている。

「今まで体験した、吉田寮を再構築している。」

と先日語ってくれた。

穏やかな藤川さんがどんな視点で吉田寮を切り取るのか

​私も無論、寮生、寮の関係者はとても楽しみにしている。

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<略歴> 藤川佳三(ふじかわけいぞう)

1968年香川県生まれ。中央大学社会学科卒。映画を志し、映像業界に入る。以後劇映画、テレビの仕事に従事する。

2001年自主企画で「STILL LIFE」を製作。PFFで入選。2005年離婚した妻や家族と向き合うセルフドキュメンタリー映画「サオヤの月」を発表(劇場公開)。2012年東日本大震災で宮城県石巻市の避難所に半年住み込み制作した「石巻市立湊小学校避難所」を発表。全国で公開された。また台湾ドキュメンタリー映画祭、ドバイ映画祭に招待された。映画「菊とギロチン」(2018年瀬々敬久監督作品)プロデューサー。著書に「石巻市立湊小学校避難所」(竹書房新書)

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