最近吉田寮を撮影する野村さんとよく話している。
野村さんは吉田寮を含む、この近辺の歴史を調べていらっしゃって。 話をするごとに、 新しい情報と
見方を
もらえている。 きっとこの会話の時間がなければ 吉田寮のことを きっと違う視点で見ていたんだろうなと思う。 吉田寮をとりまく話題は 学生紛争のイメージが強く
「戦い」
「暴力」
のような荒々しいイメージが先行していて
そのイメージは
人に警戒心や
目を閉じてしまうような
強烈な想像をさせてしまう。
でも本当にそうなのだろうかと
きっと
吉田寮に来られて
寮生と触れられた人たちは思うと思う。
寮生に会った人は
「繊細」という表現や
「ていねい」
「大切に」
などの言葉を使って彼らを表現する。
寮生の根底にある
「ささやか」な
意思や
思いを
大切にしたいという何かを感じ取っていかれていると思う。
いろんな声を聞くけれど
そんな、よく聞かないと見過ごしてしまうような
「声」を
彼らは見過ごせなかった。
気づいてしまった。
それが時代を変えて
色々な姿で表現されている
ただそれだけなんだと感じる。
そんなささいなことを
すこし強烈なイメージが覆い過ぎていると思う。
野村さんの見ている105年の
吉田寮をとりまく社会は
そんな「ささやかな意思」が
どんな形であれ
貫き通されてきた経過を感じさせてくれる。 無論野村さん自身も
とても繊細で
そんななんとも言えない人の思いを
見過ごせない
気にしてしまう
惹かれてしまう
人なんだろう。
「なんかいやだな」
という自分の小さな違和感を 無視して進み過ぎてしまった人や 「考えすぎだよ」
と一瞥されて悲しい思いをしている人が 少しでも「あ、こんな生き方もあるんだ。」
と、自分を肯定できる。
そんな思いにエールを送り続けるために。
私も吉田寮を取り巻く人達は
自分なりの行動をしているんだと思う。
その姿をみると
とても穏やかで
優しさに満ちていて
そんな事を
どうやって伝えたらいいのか
伝えたいなと気持ちが熱くなる。
北寮のベランダを 掃除する野村さん
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