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今日はあるご縁があって、
映画のプロデューサーをされている
小川真司さんの文章をブログで紹介することになりました。
小川さんは昨日放送された
「ワンダーウォール」の脚本を書かれた
渡辺あやさんの映画のプロデュースをされている方です。
昨日は渡辺さんの紹介で吉田寮での上映会を知り
吉田寮の上映会に参加されていました。
その吉田寮での出来事を書かれているフェイスブックの文章が
とても詳細に、
誠実で、
心に届く内容でしたので
了解をもらい
この場で使わせてもらうことになりました。
このブログは寮生の声を届けることが目的ですが
小川さんとのこのようなやりとりがあった。。。
という寮の日常も
投稿者がだれであれ
吉田寮のことを垣間見れる機会になるのではと思い
今回は小川真司さんのフェイスブックの記事を投稿という形で紹介させていただきます。
小川さんが感じた上映会や
吉田寮の雰囲気を
共有できれば嬉しいです^^
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NHK京都制作のドラマ、「ワンダーウォール」をモデルとなったと思き京大吉田寮内の上映会で見ることができた。
手作りのスクリーンに放送が投影される。
タイトルが出た瞬間のどよめき、拍手、エキストラの現役寮生が映った瞬間の爆笑など、まるでインドの映画館にいるような雰囲気。
楽しい。
暗闇で物語を共有するという映画が原初に持つ「場」の素晴らしさがそこにあった。
しかし、ドラマが後半に行くにつれて場内にはちょっとした緊張感も漂っていく。
ドラマは60分間という制約の中で、若者たちの苦い現実を暖かい眼差しで描ききる。素晴らしい脚本だと思った。
さすが渡辺あや。
吉田寮の廃寮闘争を題材にしているが、ここに描かれたのは今の現実の日本でそこかしこでおきている、功利主義的な価値感が弱者や文化的、精神的な多様性を毀損していく状況である。
政権与党の議員が素面で経済的利益に供しない人間は価値がないとする趣旨の発言するようなこの国の現実に対する抗議の意志が感じ取れる。
ドラマの鑑賞に先だって、寮生に敷地内を案内してもらった。
築100年以上の建物内には想像していた以上にカオスで自由すぎる空間がそこにはあった。
銀杏の大木が生える中庭では飼育されたアヒルが闊歩し、食事当番の寮生が焼く秋刀魚の匂いが漂う。
二階のベランダから中庭を眺めたのが夕暮れどきのマジックアワーで、眼前に広がる光景がまるで映画のセットのように感じられた。
男女の区別なし、上下関係の敬語なし、すべては学生の自治でルールも決められる。
しかも参加者の全会一致で。
寮生たちは皆んなかなり勝手気ままに生活をしているが、秩序が保たれているのはこのすべてにおいて議論をするという美徳があるからだと感じた。
ドラマの放映後、それを見た学生たちの間で内容についての是非が議論されていた。
個々の学生が皆、互いに自分の意見を活発に出し合う姿は、最近の若い学生たちには感じ取れないエネルギーに満ちていた。
正直、目の当たりにした私はそれにちょっと感動した。
何かをよくするためには自由にものを言って議論しなければだめだし、それには自由に言ってもよいという雰囲気がなくてはダメだ。
今の日本社会から奪われてしまっているものがここにはあった。
そうした精神を育んだのは吉田寮という場が持つ空気と伝統であろう。
大学は、国からの助成金を目的にした施設建設のため、吉田寮の敷地を更地にしようとしているらしい。
健全で強い精神を育むという教育の理想よりも大学経営を優先するように私には感じられる。
しかし、大学側を追い込んでいるのはほかでもない、すべてを経済原理で序列を決める国家の方針でもある。
経済はもちろん非常に重要なのだが、それ一辺倒では人は幸せになれないことを私たちは直感的に知っている。
にもかかわらず、それとは反対の方向に向かっているから閉塞感を感じてしまう。
ドラマはこの閉塞感を包み込んで「和敬清寂」という茶道の言葉に導かれたのちに学生たちによるテーマ演奏シーンで終わる。
これは製作者から寮生たちに送るエールなのだと思い目頭が熱くなった。
吉田寮の未来は建物が無くなったとしても、寮生の中にその精神が生き続けられるかどうかにあると思う。
自由、自治をまたどこかほかの場所で再生することもひょっとしたら可能なのかもしれないと、部外者ながら妄想している。
吉田寮のありかたは、今現在の日本に必要とされるメタファーでもある。
小川真司さんのFace Book記事
https://www.facebook.com/ogawa.shinji/posts/2249451275083120
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