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「元寮生Jより。」残り4日

更新日:2018年10月1日

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元寮生のJさんより。

以下の文章を送っていただきました。

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 2年前に吉田寮で行ったイベントに寄せた文章です。  吉田寮という場所に住み、あるいはそこでさまざまに活動し、そのことに深い影響を受けた人は多いと思います。

 でも、そこに立ち現れた場所のただなかにいるときにそこで起こっていること、僕たちがそこで受け止めていること――いわば「場所の経験そのもの」――を、掘り下げて言葉にすることは、とても難しいことでもあるようにも思います。

 僕もまだ考えている途中ですが、その途中経過のようなものをすこし言葉にしてみました。



場所、力、痕跡 



 場所とはなんだろうか。がらんどうの空間はまだ場所じゃない。場所には人がいて、みんなで何かを囲んだり、ゆるやかに隣どうしに居たりしながら、言葉や感情をおたがいに交わしあう。ときには淀みも生まれるけれど、そこには流れがある。

 言葉や感情の流れは力の流れだ。折り重なったり、擦れ違ったり、響きあったりする、さまざまな力の流れによって編みあわされた空間、そして時間。場所のことをそんなふうに考えてみたい。



 力の流れがいくつもいくつも交錯しあうと、場所はまるで沸騰しているかのようになる。そんなとき には、力の流れはざわざわとしていて、ひとつに束ねることはできない。誰かが話している言葉も、 そこに込めている気持ちも、場のなかでまざりあって、すべてを聞きわけることができない。解きほぐしきれない力の絡まりあいが、あふれだしそうになりながら場所を満たしている。



 力の流れのなかに自分の身を置いて、自分の力を引き出されるがままにしてみる。発せられる言葉や表現を自分のなかに響かせてみる。身をあずけてしまうことで、自分の奥底から解き放てる力があるはずだ。そういうとき、自分は能動的なのか受動的なのか、強いのか弱いのかわからなくなる。 でも、自分は消えてしまわない。力の流れのなかで、力に強くさらされるほど、自分ははっきりと際立 っていく。沸騰した場所のただなかで、僕たちひとりひとりは、まるで力の結び目であるかのようだ。



 流れのただなかにいることは、夢を見ているようでもある。強いリアリティと、覚めてみるとまるで何ごともなかったかのような不確かさとが同時にある。とりわけ、観客席からのうわべだけでなく、自分のすべてが残らず流れにさらわれてしまうようなときには。沸騰する力の流れのまっただなかにいることができれば、想像を経なくても、夢を見なくても、そこにある現実そのものが一時の夢のようになる。



 その場に立ち現われたものが夢のように消え去った後でも、その痕跡は残る。痕跡は場所に刻まれる。大きく目立つものも、誰も気にとめない些細なものも、それがもはやなんであったのかわからないものも。人も場所のことを覚えているし、場所も人や出来事のことを覚えている。だから、ただの 空間が場所になるとき、場所はたしかに痕跡を残しているはずだ。場所は力の場であり、その記憶 でもある。



 場所を押しつぶそうとする大きな圧力は、記憶を根こぎにして、すべてをのっぺりとした現在の瞬間だけにしてしまおうとする。そんな圧力が、「ジェントリフィケーション」や「再開発」と呼ばれる動き として、街や大学の場所を解体し続けている。



 でも、それに対して穏やかな懐古趣味にとどまって、伝統を物語るだけでは不十分だと思う。大切なのはむしろ、場所に満ちている力を正面から引き受けること、そして徹底的に新しいものを生み出していくことだ。創造のための苗床として、場所の記憶を受け止めなおすこと。かつて何度も沸騰したことのある場所の痕跡が、いまでも不穏にざわめいているのは、それが新しいものを生み出すことを呼びかけているからだ。



 2016 年 6 月現在、築 103 年を迎えた吉田寮棟は、耐震性の観点から大規模な補修を必要としている。吉田寮自治会は数年にわたって、寮棟の補修を求めて京都大学当局と継続的な交渉を行っているが、寮棟の補修はいまだに実現されていない状況にある。

 さらにそうしたなか、京大当局は吉田寮の入寮募集を停止するようにと、

再三にわたって吉田寮 自治会への「通知」を行っている。自治会はこうした「通知」に抗議し、現時点では入寮募集を従来どおり行っているが、「募集停止」は各地の大学で行われてきた自治寮潰しのための典型的な手段であり、事態の推移は今後も予断を許すものではない。



 吉田寮という場所がこうした危機的な状況にあるからこそ、この場所を守るために、守ろうとしてい る場所そのものについて考えを深めてみたい。そこにさまざまな人が集まって流れが交差しあうなら、 それ自体がひとつの場所になるはずだ。残すことと作り出すことのあいだで、力とその痕跡のあいだで、僕たちはどんなふうに出会えるのかを試してみたいと思う。



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