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「占有移転禁止の仮処分をめぐって」寮生G

・ある朝、起こったこと

「京都地方裁判所の執行官が来ていますので、寮生の皆さんは集まってください」

ある寮生の放送で、朝10時ごろ、叩き起こされて、受付に駆けつけた。寮玄関のなかにはすでに、見慣れない物騒な人たちが20名ほどたむろしていた。その後ろ、建物の外には、大学の職員と代理人弁護士があわせて10名ほどいる。

執行官たちは、いきなり現棟の玄関内に入ってきて受付の前まで来ていた。寮生が「いったん玄関の外に出てくれませんか」とお願いすると「私たちには立ち入る権限があります」と応じない。しかも、いきなり居室を開けることもし得ると言っている。そのために、解錠の技術者もつれている。

自分たちが、当然のことだと思って住んでいる空間に、いきなり見知らぬ人が、しかもよりよって権力的な正当性を主張しながら入ってくることに、何とも言えない気持ち悪さがあった。この人たちを何を言っているのだろうか。何を相手にしているのか分からなくなる不思議な感覚があった。多分、血を通わせたやりとりがなくなってしまったからだと思う。法律に則った極めて事務的なやりとりしかできなくなったのだ。

結局、正午を過ぎたあたりで、現棟と食堂の仮処分が「公示」されて(「公示書」と名のついた文書を貼ることがそれにあたるらしい)、仮処分執行の手続きは終わり、執行官は帰っていった。


・漠然とした不安に駆られる

私は、どうしたら良いかよくわからず、少しパニック状態のまま、時間が過ぎていた。とりあえず、居ても立っても居られないので、記者会見にあわせて本部棟前でビラ配りをすることにした。記者の人にはビラを受け取ってはもらえたが、帰宅する職員にはすげなく通り過ぎられることも多く、自分たちにとってこんなに切実な問題も、職員たちにとっては大したことではないのかもしれない、と思うと悲しくなった。

ビラ配りを終えてひと段落つくと、疲れをどっと感じるようになった。ひとつは、朝、私の生活リズムでは、早すぎる時間に起こされたことがあった。でもやはり、「占有移転禁止の仮処分」というよくわからないものを下されてしまったことによるものもあった。

ある寮生は「漠然とした不安を感じる」と言っていた。これは、多くの寮生に共通するだろう。起こされてもたかが民事裁判、前科がついたりする話ではないというのはわかっていても、大学に訴えられて「被告」になることには、やはり精神的な負担がある。悪いことはしてないのに、どうしてこんな不安を抱かないといけないのか、と率直に思う。いったいどうして、自分たちが払った授業料がこんなくだらないことに使わなければならないのか。


・こんなに嘘がつけるのか...

夜、ネットで、大学の公式発表と同日の記者会見を報じたニュースを見る。「やむなく今回の仮処分の申立てを行った」、「寮生の賢明な判断を待ちたい」と川添理事はコメントを残していた。ここまで偽善者になれることに逆にすごいとすら思ってしまう。やっていることは、話し合いをせずに力によって寮生を出て行かせることなのに、「良い大人」が「駄々をこねる学生」に配慮しようとしているかのように装っている。大学当局サイドは、訴訟のカードが自らの手の中にあることを示して、寮生に退去を迫っているのに、その暴力性が表には見えにくくなっている。老朽化対策について3年以上「検討中」として案すらも出してこないのに、寮側が提案をしてもコメントすらしないのに、話し合いの求めすら拒絶してるのに、なんでこんなことが言えるのだろう。

大学当局には、広報を仕事にしている職員がいて、お金があって、発信力がある。かたや、こちら側は、授業や試験、アルバイトなどいろいろやることがある中での片手間でしか発信ができない。発信力の大きな差から、どっちの言い分がより広がるかは、目に見えている。


・法律を使って脅すというやり方

一連の動きを少し、落ち着いてから考えてみると、大学のやっていることの非情さを痛感する。強い立場にある者が、弱い立場の者に向かって法律をふりかざして何かを強いることがひどいことだという意識を、離さずに持っておきたいと思う。「法律だから仕方ない」というあきらめは、こうした思いをないことにしてしまう、惰性的な現状肯定だ。たとえば、労働者が1日8時間以上働かせられないようになったのも、私のような農家の子供でも大学に通うことができるようになったのも、その時々の法律・それに基づいた制度に抑圧されて来た人びとが立ち上がり、声をあげることで制度を変えてきたからこそだ。現実は、想像力によって、ひとりひとりの具体的な「こうしたい」、「これは嫌だ」という思いがもとになって、少しずつ変わってきたし、そうあるべきだと思う。吉田寮のことで言えば、そこに住んでいる人が、自分たちがどうしたいか意見を言い、実現させることは、できて当然なのだ。住んでいる人たちではなく、住みかとして必要としているわけでもない、「執行部」とよばれる一部の人たちによって、勝手に出ていくよう通告され、ましてや話し合いもせずに法律を使って追い出そうとするなんて、おかしいし本当に嫌だ。­

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吉田寮の未来のための私たちの提案

2019年2月20日、吉田寮自治会は署名提出行動とともに、記者会見を行いました。その際、提示した文書及び、大学当局への提案内容をここに転載いたします。 1)「吉田寮の今後のあり方について」を受けて  2019年2月12日、京都大学は『吉田寮の今後のあり方について』(以下、本文書において「今後のあり方」と言う)という文書を公式サイト上で発表し、記者会見を開いてマスコミ向けにこれを説明しました。この文

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