「吉田寮とは何か」という問いには一言で答えるのは難しい。
いや、そもそも、一言で答えてはいけないのではないか、とこの頃感じるようになった。
取材でしょっちゅう出入りしているメディア関係の人がいる。
最初はよそよそしく、いきなり鍋に誘ってかなり困惑されていた。
半年以上入り浸っていただいたお陰で、今では寮生とかなり仲良くなっている。
寮生からため口を叩かれているが、どことなく嬉しそうだ。
その人から、「寮は何だか足が向いてしまう場所」という内容のメールが来た。
その人は京大出身だが、寮には全然出入りしていなかった。
「自分が寮に入っていたら、生活は全然違っていただろう」と語る。
それは決して今の人生がダメ、ということではなく、あり得たかもしれない別の生のあり方を想像することであると思う。
吉田寮に関わると、人生や学問、社会など、様々なことを別の角度で考えさせられる契機によく出会う。
吉田寮そのものの価値はもちろんあると思う。とても大事だ。
それだけでなく、吉田寮と関わって見えてくる色々なもの。変わる見方。
そういう力が、吉田寮のどこかにあるのではないかと思うようになってきた。
私はそれをある人の名著を真似て、それを「吉田寮という方法」と呼んでみた。 何だかしっくりくる。
吉田寮という方法を使って、今度はどんな人が、どんな風に自分の世界観を塗り替えるのだろう。
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