先日、記事の題材にした元寮生がこんなことを言っていた。
「最近、デモやら抗議活動への風当たりも強い。でも、そういう人たちには、抗議する人たちが全くいなくなった世界のことを想像してほしい」
近頃、デモや抗議活動を行う人々に対する風当たりが強い。
自分の不遇さや、社会がどこかおかしい、ということに声をあげる人々を批判し、嘲笑し、徹底的にバッシングする風潮がどんどん強くなっている。
そういう人たちは、別の人たちからすると、耳障りで目障りで仕方無いのだろう。
これは当たり前のことである。
ありとあらゆる主張には、賛同できる人とそうでない人がいるからだ。
批判者たちには当然の権利があるし、それらの中には、正直、耳が痛いが的を射ているものもある。我々は、それを謙虚に聞かなければならないのだろう。
そういう人たち(デモや抗議をする人たち)がいなくなった世界はどんな世界だろうか。
そこにはありとあらゆる雑音が存在しておらず、ありとあらゆることがスムーズに進む。
誰も文句も不平も言わず、大きな物事の動きは、何の滞りもなく進んでいく。
そこは、ひょっとしたら住みやすく、素晴らしい世界なのかもしれない。
吉田寮はどうだろうか。
恐らく、この世界から吉田寮が無くなったとしても、それ程大きな影響はないだろう。
ほとんどの人にとって、何も変わらない日常が、ただ続く。
寮生にとってはどうだろうか。
意外と、それ程大きな変化はないのかもしれない。
そこもひょっとしたら素晴らしい世界なのかもしれない。
もしかすると、今の世界がそれ程素晴らしくない人にとっては、今まで通り素晴らしくない、つまらない日常かもしれない。
吉田寮が無くなった世界が明日、来るとして、私の人生はどうなるだろうか。
案外、それ程、変わりはないかもしれない。
ただ、気がかりなのは、今、自分の世界を占める「吉田寮」という存在が消えた時、そこに生じるであろう空白が、自分の心に何をもたらすのか、皆目見当がつかないということだ。
吉田寮に対して関心を持っている人も、そうでない人も
吉田寮のことを好きな人も、そうでない人も
吉田寮生が好きな人も、そうでない人も
吉田寮が残った方がいいと思っている人も、そうでない人も
もしもこの世界から吉田寮が存在しなくなった時、皆、どんな日を送るのだろうか。
変わらない日常だとしても、少し、考えてみてほしい。
あの元寮生が言ったように。
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