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このブログはいろんな寮生の思いを紹介するもの目的です!
今回は寮生Sの投稿です。
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吉田寮は入りづらい、よく分からない
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このブログは
そんな声に答えたい思いからうまれた
吉田寮生の日々を紹介するブログです。
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残り●●日というのは、
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吉田寮生は9月末までに退去するように
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6月10日
「計画的無計画」と「計画的配慮」
吉田寮についてのテレビ取材を受けたり、色々な人から話を聞いたりしていると、「寮の良さって何ですか?」「寮にしかない良さはどういうものですか?」という質問がよくくる。
正直に言って、「これだ」と言えるほどのものはない。ただ、何となく人がいる。ただ、何となく、一緒に話す人がいる。それが寮の良さである、としか答えられない。そして、このような答えでは、多くの人は納得しないかもしれない。
昨晩、久しぶりに元寮生が二人、溜まり部屋(寮ではいくつか、部屋を居住スペースではなく「溜まり部屋」として開放している)にやってきた。かつて、一緒にその部屋を使っていた寮生が集まってきて、何とも嬉しい気持ちになり、朝方までボードゲームに勤しんでしまった。
恐らく、寮生同士でもない限り、朝までボードゲームをやろうと思えば、相当な準備が必要なのではないか。誰の部屋に行くか、帰りはいつになるか、など、打ち合わせ、計画を立てる必要がある。突発的にそういったものが始まることもあるだろう。しかし、寮の場合、その「何だかよく分からないが朝まで遊んだ」「特に計画もしてなかったけど何となく一緒にいた」という偶発的な営為が圧倒的に多い。昨日のボードゲームもそれに該当する。上記の元寮生のうち一人に関しては、寮にやってくるということを私は出会うまで知らなかったくらいであった。
寮は、部屋間の距離が多少あるとは言え、「同じ建物(西寮と現棟の違いはあるが)に暮らしている」という感覚がどこかにあるような気がする。そうすると、いつ帰るか、ということへのプレッシャーが特段に下がり、偶発的な遊びが発生しやすくなる。このようなことは、寮で共同生活をしていなければ得られない体験だろう。ここは寮に住んでいていいところではないだろうか。
ところで、その寮生たちと寮近くの食堂で夕食を食べていたとき、近くの席に座っていた大人たちが、京大について語り合っていた。彼らは、吉田寮やタテカン問題についても言及し、山極寿一総長を批判していた。そして、返す刀で、寮についても「建前ばかり言っていてダメだ」「政治力がない」とこき下ろしていた。
こういった批判はよく聞くし、実際、その通りなのだろう。私自身も色々と思うところがある。確かに、寮には政治力が無く、効果的な戦略立案能力もあまりない。そして何より、決断が遅い。元来、寮は「企み」やら「計画」が至極苦手な人たちが集まっているところだというのも理由の一つだが、決断が遅いのは、傷つく人、気分を害する人を減らすためでもある。テレビの取材を受けるときなど、最大限の注意を払って、人物はもちろんのこと、私物の映り込みにも気を配る。そのためには、企画は常に会議にかけて賛成をもらい、周知をビラなどで徹底する。寮は、無計画に楽しむ人たちがたくさんいる一方で、そういった配慮や心配りにもかなり注力している。
このような営為を訝しく思う向きがあるのも当然なのかもしれない。しかし、無計画に、突発的に発生する楽しさを守るためには、計画的に人に配慮を行うことが必要なのである。皮肉にも、そのことが、寮の今日の危機を招聘しているという指摘もありうるかもしれない。その点についてはまた別に書きたいと思う。
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