もし今の恋人と出会っていなかったとしても、
京大で勉強したかもしれないし、
吉田寮にも入ったかも知れないけれど、
ともかく、
フリーターだった私が付き合いだした相手は、
京大吉田寮に住んでいる人だったので、
私は2014年の入学前から足繁く吉田寮に通っていた。
学部卒業後、戻った実家のある京都郊外の片田舎では
「大学を出たのに就職もせず、
野心的で粋がってばかりで地に足つかない親不孝な娘」
と陰口を言われていたかもしれない。
けれど、この建物の静けさと、猫と、住人の人生双六の一回休みを受け止めてくれる優しさは私の癒やしだった。
「サロンを始めたからおいで」
と言われて
昨日行ってみた部屋は、
そんな昔に彼が住んでいた部屋だった。
寮には何十も外観や内装が同じ見た目の部屋があり、
彼の部屋が20号室だったのか25号室だったのかなんて覚えていないし、
この6年で入学したり大学を去ったり学生は忙しく入れ替わり
部屋の前に置かれた靴や荷物も変わるので、
彼が住んでいた片鱗はもうない。
でも彼の部屋だったとわかったのは、
ドアに貼られた置き書きを見つけたからだった。
懐かしくておもわず声をあげた。
相部屋が基本の吉田寮。
初めて会った人と住むのはありふれたの光景で、出会いと共同生活がまさに濃密な群像劇と言った感じ。
彼が大学に来る少し前の2010年頃に、
女の子が数名で住んでいたらしい。
お互いに遠出する前などに置き書きをドアに残したり、そのうち就職した一人がこの部屋を再訪したときにメッセージを残したりしていた。
後の住人である彼の生活にそんな置き書きは必要なかったけれど、
その和気あいあいとした温かみと、
スマホがない時代のやり取りが奥ゆかしく、
外さないで貼ったままにしておきたいのだと言っていた。
その後、彼のあとには2、3代学生が入れ替わり住んで、現在、中の家具などは全てサロンを運営する学生が運び入れて変わっていたけれど、
この置き書きは6年前のまま。
置き書きを外して捨てなかった寮生の感性にある種の信頼と尊敬の念が湧いて感慨深かった。
吉田寮を壊したら失われるものは、
切実に欲されているはずなのに見つけにくくなっている、
でもここに来たら見つかるありふれた人との繋がりなのだと、改めて実感した。
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