自分の住んできた場所を思い返してみると。
風呂なしトイレなしのアパートだったり。
廃墟のホテルだったり。
アイヌのコミュニティだったり。
一般的に住みにくく
想像しやすい建物ではないことが多い。
今はご存知の通り吉田寮に住んでいる。
色んな報道陣の方が吉田寮に来られてこの質問を良く投げられる。
「どうして吉田寮に住んだんですか?」
私にとって吉田寮のような空間に住む事は
とても自然な選択肢の一つで。
特別なものではなかったし、
住んでみてそんなに強烈な場所でも無かった。
というのが第一声に出てくる印象だ。
つまりとても生活のしやすい場所だった。
ということ。
駐車場もあるし
シャワーもあるし
インターネットもあるし
荷物を受け取ってくれる人もいるし
約束せずに人に会える。
これが吉田寮と言う場所なのか。
という特異さは、もしかして生活のしやすさに隠されていたのかと思う。
私は学部生の頃はビートニクというロックやヒッピーを作った人達に傾倒していた。
そして様々なコミュニティに寝泊りし。
集団の中でルールを作る、吉田寮でいう「自治」について考えていた。
いろんな場所の
いろんな良い部分や学ぶところを経験してきたと思う。
そして吉田寮の問題が起きた時に、
自分がどうしてこのタイミングでこの場所に居るのかを考えた。
最初はこのように関わるつもりはなかったし 今よりもっと客観的に問題をみていたと思う。
でも自分が今まで関わってきた事の一つのまとめのような
答えを表現したいと思い
今に至っている。
結果は漂っているうちに見えてくる。 そんな事を言っていた人がいた。
みんなそれぞれが迷いながら漂い続けながら
全体像がいつか見えるぐらいでいいのではと
そんな風に私は思っている。
生きている内だって
なくなった後であって
思いは続いていくのだから。
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