「吉田寮は京大の学風の象徴」と言ってくれる人がいる。
「吉田寮は自治/自由の象徴」と言ってくれる人がいる。
「吉田寮が辿らんとする末路は学生運動/自治の愚かな末路」と言ってくれる人がいる。
ポジティブなものもあれば、ネガティブなものも。
色々な人が、色々な想いを吉田寮に載せて何かを発言している。
ありがたくて嬉しいものもあれば、耳が痛いもの、私の想いとは違うものも。
実際に住んでいる身からすると、何だかどれも当たっているような、当たっていないような。
思えば、私も全然関係ない「何か」に自分の意見を載せて喋ることがある。
あぁ、載せられていた人はこんな気持ちだったのか、と少しだけ気づく。
「〇〇の象徴」と言った時に、私たちは、そこに息づく人、そこに根付いている人、そこにいる人を忘れがちになる。
それを踏まえた上で、私にとって、吉田寮とは何の象徴だろうか、と考える。
答えは、まだ、ない。
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